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リテラシー:読み書きする能力。「噂」や「報道」に対する接し方も情報リテラシー。
リテラシーは「能力」のことなので、「高い/低い」で表現します。
「リテラシーが高い(低い)」と言ったら、どういう意味なのか?
例えば、「赤」と「臙脂」は色が違い、それを自分の感じ方を含め、差を説明できる人は多いのではないか?と思います。
「明るい赤と暗めの濃い赤」などと、色に対して使う言葉が「赤」しかないのと、「赤と臙脂」というように色に対して異なる言葉が使えるのとでは、リテラシーに差があり、前者の方が後者より低いということになります。
また、例えば「臙脂」を説明できるレベルでも、リテラシーの高低がでます。
文章の表現でその言葉を比喩として上手に使えるとか、1つの言葉が持つ力を存分に発揮できる状態であるととてもリテラシーが高いということになります。
当然ですが、リテラシーレベルの異なる人同士が会話した場合、高い人の話は低い人には正確に伝わりません。低い人は状態を上手に説明できないので、やはり高い人にわかるように伝わりません。
余談ですが、浅黄(あさぎ)色ってどんな色?うぐいす色、茜(あかね)色って?・・・とか思うことありませんか?名前がついている色の数は本当にたくさんありますよね。日本の昔の人って、色に対するリテラシーが非常に高かったことがうかがえますし、色に対しての感度が本当に高かったことがわかります。
また、ある分野で使われる頻度の高い言葉を、その分野での使い方をよく知っていて、使える言葉が多い状態もまた、リテラシーが高いといえます。
つまり、「情報リテラシーを高く持つ」と言ったら、情報の分野(今ではPCやインターネットの分野が主力ですが、新聞・雑誌・TVなどマスメディアといわれるものも含まれるはず)における言葉を聞いて意味がわかり、話に使える状態を目指していくことになります。
小学校から情報の授業があるのは、この情報リテラシーを上げておかないと、今後生活に支障が生じるようになることが容易に想像されたからでしょう。リテラシーが上がらないと、実際のハード/ソフトの操作のスキルも上がりにくいことでしょう。(国はちゃんと考えてるなぁと思ったりします。(笑))
情報の分野に限らず、上で話した色でさえ伝わらないことから想像できるように、リテラシーが低いと会話は成り立ちにくく、伝える側も伝えきれないし、聞く側も話がわからず、会話として合致していかないわけです。お互い消化不良で、これが継続すると「ひとりぼっち」になっていきます。
リテラシーは高くありたいものです。